一度きりの人生。
たとえ代々続く企業の跡取りであっても、自分の人生は自分で決めて良いはず。
両親がキリスト教だからって、自分もキリスト教信者にならなければいけない理由はないのと同じようなものですかね。
でも、だからって
「この仕事じゃなきゃ嫌だ!」
「この人生で絶対に達成したいことがあるんだ!」
なんてバイタリティが今はないのが現状です。
僕は2代目の経営者になる可能性があります。
今は親の会社に入って、一般の平社員の立場でお仕事をしていますが、普通の平社員だったらとっくに辞めてると思います(笑)
なぜか?
向いてないから!(ドヤ)
自信満々に言うことじゃないですけど、本当に向いてない。
キャタピーがリザードンになりたいって夢みてるくらいには向いてない。
- いっそクビと言ってもらえた方が楽
- 毎日何をしたらいいかわからない
- 仕事が楽しくない
こんな辛い状態の方がいたら、お目汚しにはなりますが楽しんで見てもらえると思います。
よければご覧ください!
なぜ、仕事が楽しくないのか
あくまでも自分の場合はという観点で書きます。
仕事が楽しくない理由は、『成果が出ていないから』です。
何の仕事でもそうですが、成果が出れば最高にエキサイティングだと思いませんか?
どんなにきついことをやってたとしても、成果がでているとしたら
「これだけ見返りがあるならやってもいいか。」
となるはずです。
そうなれば、良いサイクルが回り始めますが、そこに行くまでがキツイ!
そもそも、何で成果が出てないかと言うと、
- 行動していない
- 行動が間違っている
このどちらかに当てはまっているからです。
そして僕は、行動していないに当てはまるので、成果が出ていないと思われます。
行動していないことがダメだってことまで自己分析しておいて、なぜ自分は行動できないのか考えていました。
行動できない理由は、ゴールがないからです。
イチロー選手の”夢の作文”の話は有名ですよね。
小学生の頃から将来は中日ドラゴンズか、西武ライオンズに入ると宣言していましたし、必ずなれると信じていました。
「イチロー選手のその話は有名だよねー」
くらいにしか思っていなかったですが、今になってゴール設定の重要性を痛感しています。
ゴールがあるから人は進んでいけるんですね。
やりたくなことをやった先にはやりたくないことが待っている。
そんな人生は辛そうだと思ったら、そりゃ体も動かなくなります。
しかも、その過程までもがしんどいとなれば尚更。
ゴールがないというのは、暗闇のトンネルの中をただひたすらに進んでいるようなもの。
ゴールから逆算した過程もワクワクできる目標を立てれたら勝ちといっても過言ではないかもしれません。
やり甲斐がない=人の役に立っている実感がない
やり甲斐がない原因は大きく2点あると考えています。
- 誰かの役に立っている実感がない
- 労働に対しての報酬が見合っていない
誰かの役に立つと言っても、必ずしもお客さまのお役に立つことだけが全てではありません。
実際、僕は新卒の会社でお客さまの役に立っている感覚はあまりありませんでしたが、やり甲斐はありました。
なぜかと言うと、会社の役に立っていたからです。
褒めてくれたり、喜んでくれたりする会社の仲間を身近に感じることができていたので、
「役に立ってるんだな。」
「ここに居ていいんだな。」
と、自己肯定感は高まっていました。
一方で、お客さまともっと距離が近いところで仕事をしたい!とも考えていました。
どれだけ頑張って働いても給料が変わらない。
サラリーマンはこれがしんどポイントですよね。
僕も前職では苦しい思いをしました。
100時間、150時間と残業しても、みなし給与で35時間に集約されるんです(笑)
どれだけ頑張っても、土日出勤しても何をしようとも給料が変わらない。
今となってはいい経験ですが、当時の僕は腹落ちしてませんでした。
結局、入院するほどの病気になって退職することになったんですけどね。
で、そのとき有給はほとんど使わずに最後まで頑張りますって言って勤め上げたのに、冬のボーナスは同期の6分の1。
舐めてるんですかね?
舐めてますよね。
どれだけ人のお役に立っていたとしても、労働の対価が正しく支払われないとやり甲斐をなくすというのが実体験から得た感想です。
今はどうかというと、複雑です。
まず、僕は大した数字を上げることができていないので、会社の役に立っているかというと微妙。
それに対して、お給料は普通にいただいてます。
ある意味、労働に対しての報酬が見合ってないんです。
給料を下げてくれと言ったこともありますが、認められませんでした。
「給料を下げてくださいじゃなくて、もっと頑張りますと言え。」
まさに正論ですし、本来そうするべきなのも十分わかってます。
自己評価は会社のお荷物。
職場の従業員の方は皆さんやさしいのは救いです。
ただ、社長の息子として実績を出せなくて焦って、
「僕はここに居てもいいのかな?」
と、勝手にネガティブマインドになってしまってるんですね。
渋沢栄一の『論語と算盤』と同じで、
崇高な理想を掲げるだけでは不十分で、理想を達成させるための数字は必要不可欠。
成果のないところに成功はありませんね。
やりたいことを見つけるには行動するしかありません。
なんのために仕事をする?
働く理由は稼ぐため?
家族のため?
なんかしっくりこないんですよねこれ。
稼ぐためだったら別に今の仕事じゃないとダメな理由ってないですよね。
それに世の中には探せば、めっちゃきついけど稼げる仕事はあるわけですし。
家族のためっていうのも、正解のようで正解じゃない気もします。
家族のためなら自分がどれだけキツイ思いをして、やりたくないことをやって精神をすり減らしてもいいんでしょうか。
それが正解なんでしょうか。
中にはそんな働き方をして人生に生きがいを感じなくなったり、最悪こころの病になる方だってゼロじゃないですよね。
僕は、自分が幸せになるために仕事がしたいです。
やりたいことを見つけるには
やりたいことがわからない、、、
居ますよね、こういう人。
わかります、僕もです(笑)
僕はやりたいことを見つけるために、こんな間違った行動をとってきました。
- 今まで触れてこなかったジャンルの本を読む
- 参考になりそうな動画を見る
- セミナーを受講する
- 勉強会に参加する
- 異業種の話を聞く
結論をいうと、全くダメでしたね。
要するに、インプットだけではやりたいことは見つからないんです。
アウトプットでしか人生は変わりません。
それは断言できます。
ということで、僕が出したひとつの答えは副業をしてみる。
もしかしたら、昔ハマってたゲームと同じくらいに熱中できるものが見つかるかもしれません。
因みに、今の仕事も辞めるつもりもありません。
色々と辛い・しんどい系のことを書いてきましたが、やったろうって気持ちも、まああるんです。
キャタピーがリザードンになるって夢を持ってもいいじゃないですか。
でも、キャタピーが急にリザードンになろうとするのは無理なんですよね。
まずはバタフライを目指します。
っていう例え話は、もしかして逆にわかりづらいですかね?