世の中は分業化することが基本になってる。
まあそれもそうでしょ。
分業化したほうが効率がいいし、成果も出やすいんだし。
人には得手不得手があるんだから、自分が苦手なことは誰かに任せればいいんじゃないのって話。
自分の苦手は誰かの得意。
そう考えると、分業化はするべきかもしれない。
でも、何にでもデメリットはある。
だから分業化にだってデメリットはある。
分業化のデメリット
分業化は、人間が楽をするために、なにか別のメリットをトレード・オフしているはず。
じゃあ分業化のデメリットは何なのか。
一般的には分業化のデメリットは、『特定の担当者への依存』とか、『コミュニケーションコストの増加』とかが挙げられる。
たしかにそうなんだけど、個人的に思っていることとは少し違う。
我思う。
分業化のデメリットは、愛がなくなることにあり。
だいぶ青臭い感じになるけど、抽象的な表現にするとこれ。
これは、モノに対する愛とヒトに対する愛がある。
まず、モノに対する愛とはなにか。
例えば、YouTubeでなにか1つのコンテンツを作るにしても、リサーチ、台本、撮影、編集など、たくさんの工程がある。
多くの企業やチームが、Aさんはリサーチ、Bさんは台本作成。
みたいな感じで作業を分業化しているわけだ。
じゃあこれを1人でやってる人と比べたら、コンテンツに対しての愛はどっちの方が強いだろうか?
たぶん1人の方じゃないかな。
スキルの深さを習得するには、スキルの広さも必要。
仮にめちゃくちゃ凄腕の職人がいたとしても、コミュニケーション能力がクソだったら仕事はこない。
なんにしても、1つのことを極めるだけでは不十分。
分業せずに、自分でやる。
それが結果的に、コンテンツに深さをだす。
だからモノに愛がうまれる。
そんな感じ。
もう一方で、分業化はヒトに対しての愛もなくなると思う。
分業化するってことは、担当者が1つのことを特化してやるってことだから、他の作業のことについては分かんないわけだよね。
だから、どこにどんな苦労があるかなんて分からない。
動画編集を1分進めるのに1時間かかってるとか知る由もない。
知ったとしても、自分が実際に手を動かしてるわけじゃないから、本当の大変さは分からない。
そんな感じで、実状がわからないから「もっと質を上げろよ」とか、「このくらいできるだろ」って簡単に考える。
「ここ修正してください」
その修正がどれだけ大変なことかもわからずに、平気でそう言えてしまう。
分業化はヒトに対しての愛がなくなるっていうのは、こういうこと。
一通りなんでも経験したことがある人は、指示の出し方もうまいし、どこで躓いて何が大変かを知ってる。
だからヒトに対して愛を持って接することができる。
知らんけど。
全部ひとりでやってみる
全部ひとり力を高める。
時代に逆行して、あえて全部ひとりでやる。
そこに差別化が生まれるかもしれないし、ものづくり本来の魅力に触れることができるかもしれない。
でも、しんどいし効率悪いのはやっぱ嫌だよね。
ていうか、無理。
だから全部ひとりでやるって言っても、ずっと続ける必要はないと思う。
どのスキルが、どう活かせるか。
これが理解できたあとは、必要なスキルをいつでも引き出せる状態にできたらいい。
今日の出来事と感じたこと
ある運送会社の社内プレゼンを特別に聞かせてもらった。
聴衆はドライバー。
テーマは売上向上。
このプレゼンの最終チェックを会社の幹部の方々といっしょに、聞かせてもらったわけだ。
もちろん、社外の人間は僕しかいない。
ありがたいね。
プレゼンの冒頭のつかみが非常に良かった。
「今、30年ぶりのチャンスが来ていることに気づいていますか?」
なになに?
全く気づいてないけど、そんなチャンスが目の前に来てるの?
少なくとも僕はそんな感じになったわけだから、注意を引き付けるという意味では良いフレーズだと思った。
プレゼンの資料も作り込まれてたし、台本とか話し方とか、時間をかけて頑張ったんだろうなってことが伝わってきた。
ただ、プレゼンの時間が7分までという関係上、どうしても内容が抽象的。
売上向上というテーマにするなら、もっと数字やこれからのアクションプランとか、具体的な話がほしかったかな。
生意気ながら意見させていただいたら、一部内容を変更する運びになった。
社外の人間がでしゃばって本当すみません。
でもどう思ったか聞かれたから、そこは正直に言わないとね。
遠慮する必要はない。

