保険屋さんのタケモリです。
専業主婦には生産性がないと言われていたり、自分自身でもそう感じている方が少なくありません。
ぜんぜんそんなことないんですけどね。
ということで、今回は専業主婦には生産性があるというテーマでお話します。
生産性がないと言われる理由
まずは、専業主婦に生産性がないと言っている方からしたら、生産性とはなんのことを言っているのかを定義したいと思います。
生産性がある=金銭を稼ぐことができる
おそらく、このように考えているのではないでしょうか。
一部の労働者は
- お前は1円もお金をうまない
- 社会貢献していない
専業主婦に対してこんなことを言う人が少なからずいます。
こういう人たちが言う生産性があるというのを言い換えると、GDPを高めることに貢献しているかということもできます。
GDPとは国内総生産のことで、生産性が上がればGDPも上がるわけです。
家庭内労働はどうかというと、GDPには計上されません。
そういう意味では生産性がないという主張と整合性がとれます。
たしかに1円の価値にもなっていないし、数字だけ見ると社会参加していないのと同義になるんですかね。
だから労働生産性がないと言いたいんだと思います。
専業主婦には生産性がないって言っている人の主張って、そういうことですね?
生産性がないと言われる精神的な理由
専業主婦に生産性がないと言っている人は、優越コンプレックスを感じています。
優越コンプレックスとは、劣等感を隠すために優れているように振る舞うことです。
まあ、独断と偏見ですが、労働者は専業主婦に劣等感を抱いていると思います。
なぜそう言えるのかというと、単純に羨ましいと思っていそうだからです。
労働をせずに生活できる環境を羨ましがっているのではないでしょうか。
家のことをしていればよくて、生活に必要なお金はパートナーが稼いでくれる。
こういう環境を実は羨望しているという見立てです。
「私はこんなに一生懸命働いているのに不公平だ!」
「働け!」
きっとそう言いたいんですよね。
本当なら自分も働きたくないけど、社会的に見たら働かないのはまずい。
だから自分が働かない側にいくのではなく、働いていない人を働かせようとする。
そういうマインドが少なからず働いているのであれば、「いや、別に羨ましくなんかないし」と言い切るのは無理があります。
専業主婦には生産性がないと主張する人の特徴
生産性がないと主張してくる人は
- 労働収入を得ている人
- 配偶者
こういった方だと思います。
労働収入を得ている人というのは、時間の切り売りでお金を稼いでいる人です。
家賃収入・株などの不労所得で生計を立てていないということです。
配偶者である専業主婦に対してこんなことを言う人もいます。
「不満があるならじゃあお前が稼いでこい」
なかなかモラハラ思考が強めな蛮族ですね。
なんと恐ろしい。
こういう人たちが社会に抱えている不満は
- ストレスに揉まれながらお金を稼いでいる
- 高額な税金・社会保険料を納めている
といったことが考えられます。
一方、専業主婦はというと、基本家にいるし労働者ほどの税金は納めていません。
「あなたもちゃんと働いて税金を納めなさい」
「それが社会貢献なんだ」
不満を持っている人ほどこんなことを言ってきそうですよね。
でも本当は自分も税金・社会保険料は払いたくないんじゃないですか?
税金を収めることが本気で社会貢献になると思っていて、他人にそれを推奨するのであれば節税なんかしないでください。
NISA使わないでください。
増税して社会貢献がしたいのであれば、非課税で所得を得る理由はありません。
専業主婦に生産性がある理由
そもそも、生産性がある=お金を稼ぐことができるかという視点が浅すぎます。
お金を稼ぐことができれば生産性があるというのは、なんとも拝金主義的で短絡的だと思うわけです。
生産とはなにかを生み出すことです。
私は生産にはこの3つの軸があると考えています。
- 経済的観点
- 社会的観点
- 精神的観点
経済的観点
なにも直接的な収入だけがすべてではありません。
専業主婦は無償で労働しているだけです。
掃除、選択、料理を外部サービスに委託すればお金がかかります。
それと同じことをやっているわけですから、金銭換算すると1円も生み出してないとは決して言えません。
それに税制上のメリットもあります。
配偶者控除・配偶者特別控除の枠を使用できるので、存在するだけで節税になっているの同じです。
これに関しても、1円も生み出してないとはいえません。
社会的観点
コミュニケーションをとることは生産的な活動のひとつです。
ネガティブな会話は生産性がないかもしれませんが、いわゆる建設的な話は生産性があります。
建設的って言ってるくらいですからね。
生産性がないとは言えないはずです。
誰かとコミュニケーションをとることで会話は生まれます。
一人で会話することはできせん。
壁に向かって話すとかはできるかもしれませんが、それで生産的なコミュニケーションができているとか主張する人がいたら、そいつはたぶんヤバイやつです。
そう考えると極端な話、コミュニケーションをとったことがある人は生産的な人であるとも言えます。
コミュニティに属することも、社会的な生産活動の一助を担っています。
例えば家族。
お子さんを一生懸命育てているのであれば、それは生産的な活動です。
将来の社会を支えるのは、誰でもなくいまの子どもたちです。
その子どもを育てているのであれば、長い目で見ると社会的に貢献しているのと同じですよね。
他には、友人・知人やその他のつながりからうまれるコミュニティもあるかと思います。
なんにせよ、ひとりでコミュニティは作り出せません。
何かしらのコミュニティに属しているのであれば、社会的観点では生産的といえるのではないでしょうか。
精神的観点
情緒的な安心感が得られるから、人はだれかと同じ空間で時を過ごしたいと思うはずです。
誰かを笑顔にする。
いっしょにいると落ち着く。
楽しい気分になる。
こういう精神的な心の支えになることも、十分立派な生産のひとつですよね。
本当に生産性がある人は少ない
目標には、消費の目標と生産の目標があります。
将来の目標と聞かれて、
マイホームの購入!
憧れの車の購入!
旅行に行きたい!
こういう人は少なくないと思いますが、これはぜんぶ消費の目標です。
一方で、生産の目標はどんなものがあるのかというと、
金メダルをとる
とかですかね。
いや、ハードルたけーよって感じですけど。
室伏広治選手をご存知でしょうか。
2004年のアテネ五輪で、ハンマー投げで金メダルを獲得した選手です。
室伏選手は、金メダルをとることは目標のひとつであり、目的ではないと語っています。
金メダルは子どもたちに元気を与えるための手段なんだと。
こういう目標設定ができる人が生産の目標をもっている人であり、真に生産性が高い人と呼べるのではないでしょうか。
〇〇万円稼ぐ!
という目標は、消費/生産、どちらの目標にもなり得ます。
ですが、ほとんどが消費の目標になっていると思います。
消費というのは、単に稼いだお金で私腹を肥やすことで、先の例で上げた通り、マイホームや車の購入、旅行などが当てはまります。
生産というのは、稼いだお金で目的を果たすことです。
子どもたちを元気にするとか、中小企業の発展を支援するとか。
そもそも、消費の目標ではなく生産の目標を持っている人は少ないのではないでしょうか。
人の価値はお金で測れない
アドラー心理学をご存知でしょうか。
その中で、このような考え方があります。
- 機能的価値
- 存在価値
機能的価値とは、数値化ができる価値のことです。
機能的価値が高い人がどんな人かというと、全国で1番になったトップセールスとか、年収1億円みたいな人です。
あくまでも機能的価値で考えると、専業主婦の価値は低いことになります。
つまり、専用主婦に生産性がないと言う人は、機能的価値に着目していると言えそうです。
存在価値とはかんたんにいうと、ゆるぎない価値のことです。
トップセールでなければ価値が低いのか。
年収 500 万円の人は年収 5,000 万円の人の 1/10 の価値しかないのか。
そういわれると、もちろんそんなことはないですよね。
もしそうだというなら、子どもはどうなるのでしょうか。
子どもは一般的にはお金を稼ぐ力はありません。
だから自分の子どもには価値がないと言えますか?
子どもに限らずとも、年収が低い人は頑張ってないから価値が低いんですか?
「そうです!そういう人は全員ゴミです!」
という人とは絶対に友達になれないので、近づかないでください。
お金払うんで。
どんな人にも存在価値はあります。
大切な人である配偶者に対して、生産性がないとか、1円の価値も生まないとか言っている人は論外です。
これは配偶者の存在を否定しているのと一緒です。
まあ、もともと機能的価値に惹かれて結婚したなら別ですが。
そういう人はイーロン・マスクと結婚できる自分になる努力でもしといてください。